結婚願望というエゴイスト

結婚願望を抱えた者はエゴイストである、勿論結婚願望を抱かない者でもその他の欲望や切望をその胸に抱いているので割合的に言えば結局は同様にエゴイストである場合が多いがそれでも、結婚を望む者は飛び抜けた己の欲望の体現者足りうる存在である、そもそも結婚を望むという事は他人の人生をどうにかしようと願う行為である、つまり『お前の事が好きだから俺のために死ぬまで味噌汁を作ってくれお願いします』という事である言わせんなよ恥ずかしい、たった一杯の味噌汁がなんとも罪深いものである、このように結婚とは自分の要望に相手を突き合わせる行為である場合が多く、殆どの場合は相手に一方的な要求を与えるものだったように思う。

結婚者足りえる要素

結婚という事実に到達せしめる因果関係について深く考察してみよう、まず結婚という事象が成立するためには少なくとも結婚する対象者2名の存在とその二人の婚約を確認する第三者が必要になる、対象者の二人が自分たちの恋愛感情のリビドーを再認識したいだけの場合は結局のところ2人でも問題ないのだが果たしてソレを結婚という事象の達成にカテゴライズできるかどうかは甚だ怪しく絶妙に微妙である。
そもそも結婚とはいったいどのような行為なのかを振り返ってみよう、結婚とはすなわち婚約であり、婚約という事は愛しあう二人の男女が(必ずしも二人の間に結婚に至るまでの恋愛感情があるわけでは無い可能性もあるがこの時点では無視する事にしよう)夫婦の関係になる事だが、それならば婚約などせず二人の同棲生活のみでも十分なのでは無いだろうか?

結婚に望む答え

各々が結婚に望むものはそれぞれ様々ですが結婚で望まれるものと言えば大方の場合は、愛・金・肉体のような内容がほぼ半数異常を占めるだろう、多くの人類が思いつく欲望など意外と種類は少ないという事だ、同様にその結婚に関する願望も代替えが聞いてしまうというお手軽さなのだからんとも間抜けな話である。
つまり結局のところ結婚とは一時の占有感を満たすためだけの行為に過ぎず、結局のところわれわれにとって結婚とは代替えの効いてしますその程度の価値しかないのである、結局は紙の上だけでのやり取りなのだから仕方が無いと言えばまったくもってその通りなのだがソレでも自分自身の履歴に傷がつくのだから結婚wwwワロスwwwwなどと言ってられないのもまた同しようもない事実である。

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